アウディ創業者の思いとは

アウディの創業者であるアウグスト・ホルヒが車に込めた思いとは?一人の男の信念が乗用車の歴史を塗り替え、今も脈々と受け継がれています。アウディ創業者の成功と挫折の波乱万丈人生を知ることで、アウディ車の魅力をより深く感じられるでしょう。

ベンツの工場長時代から自社設立まで

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20世紀のはじめ頃、世界は乗用車の開発のスタート段階でした。そんな時代にベンツの工場で工場長として働いていたのが、後のアウディ創業者アウグスト・ホルヒだったのです。研究熱心で努力家の彼は、やがてベンツを離れ独自に自動車の製造へと乗り出すのでした。
自身の名をつけた「ホルヒ」という会社名で、当時の自動車としては最先端で高品質な車を作り続けたことで、その地位を不動のものとしていきました。ところが良質なものを作れる人が必ずしも経営においても才覚があるかというとそうとも限りません。
品質を重視しすぎるがあまり予算度外視の方針を貫いてしまった結果、1901年に自分が立ち上げた会社を、8年後の1909年には追放されるという経緯となってしまうのです。それでも彼の自動車への愛はとどまることを知りません。アウグスト・ホルヒが目指したのは売れる車より、本質的に優れた車だったのかもしれません。自分の会社をクビになってまで自動車製造を続けたいと彼を突き動かした原動力は一体なんだったのでしょう?そしてそれを体現しようと行動し続けたその動きが、今日のアウディへとつながってゆくのでした。

「アウディ」と名乗るようになった経緯

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ここでアウグスト・ホルヒはかなりの暴挙に出ます。なんとまたまた「ホルヒ」という会社を別で作ってしまったのです!確かにこのエピソードを聞くとやはり経営者として上手に立ち回れるタイプの人ではないのでしょうね。かなり負けず嫌いで少々偏屈な人物像が伺えます。
しかしこれは当然もともとのホルヒ社から猛抗議にあってしまいます。そこで彼は社名を変えざるを得ない状態になってしまったのです。「ホルヒ」とはドイツ語で「聞く」の意味。これをラテン語の同じ意味である「アウディ」に変えることでなんとかその逆境から抜け出そうと考えたのです。とりあえず社名がかぶらなければなんとか経営は続けていくことができます。
そしてやはりアウグスト・ホルヒの信念が次々と具現化されていきます。開発される新型車はどれも人気を博し、展示会やスポーツイベントにおいても活躍し、自動車の信頼性をどんどんと向上させていったのです。ただの車ではなく乗り心地と操作性と走りの高品質化を追求することで我々が今知っているアウディの原型ともいえるモデルが誕生していき、世界が注目する一大自動車会社へと成長していくのです。

突然の引退、そして彼が残した志

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しかし、これだけのパワーがあってカリスマ性ともいえるものを持っているアウグスト・ホルヒは、ある意味ではやはり変わり者だったのかもしれません。なんと1920年、あっさりとアウディを去っていくことになるのでした。その後は第1次世界大戦が終わった後、ドイツは不況の真っ只中にいたため、アメリカの自動車産業が進出してきて、ドイツ国内の自動車メーカーを脅かし始めていました。そんな中アウディのほかにDKW、ホルヒ、ヴァンダラーの4社が手を組み、アウトウニオンという自動車連合を結成、そのときに使われていたロゴマークが4社を表した4つの輪とAuto Unionの文字。それが現在のアウディのロゴマークとなったのでした。
最初の創業にすべてを注ぎ込んだアウグスト・ホルヒは、その極端な性格とは裏腹に、だいぶ謙虚な姿勢の言葉を残しています。「ただ高性能で高品質な車を作り続ける努力をしただけだ」と。
その意志は今のアウディ車にもしっかりと受け継がれていることが感じられます。これだけの強烈なキャラクターの創業者のおかげで、アウディは100年以上不動の地位を保ち続けられているのかもしれませんね。

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